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要約して噛み砕いてみた(日比先生+α篇)

横浜国立大学都市イノベーション学府建築都市文化専攻M2 野口直樹

お久しぶりです。M2の野口です。むろにゃんこと室井先生主催の文系学部の未来を考える連続討議をM2の僕が宣伝する需要不明のコラム

 

今回は11月22日に開催される第4回「大学はこのままでいいのか?——自由と多様性を求めて」の登壇者 日比嘉高先生の『いま、大学で何が起こっているのか』を紹介するんですが、前回記事が7月だから、なんとも4ヶ月ぶりの掲載です。……マジかよ。

 

というわけで、4ヶ月の間に色々なことがありました。具体的にはこち亀の最終回がジャンプに掲載されたり、こち亀の200巻が発売されたり、亀有駅がこち亀にジャックされたり、こち亀が連載終了したり……。あ、文系学部解体イベント第3回も開催されました。

 

というわけで、僕が大学院生としてリスペクトしてやまないこち亀の画像を貼っておきますのでご査収ください。

This is a 真理……。

大学院生とはいかに自分が知的っぽいかをアピールする人種なのですが、まさかのまさか。

「なんか知的っぽい感じ」とは、

ほとんどなんも言わないことで表れるのです。

 

ということでこれに基づいて人類で一番知的っぽく日比嘉高先生『いま、大学で何が起こっているのか』をレビューします。

 

 

 

日比嘉高先生『いま、大学で何が起こっているのか』は、うーん、分かるけど、うーーん……

以上です。

……はい、このままじゃお給料貰えないので真面目にやります。

『いま、大学で何が起こっているのか』は、同じ文系学部問題を扱った『文系学部解体』『文系学部廃止の衝撃』よりも早い2015年5月に発売された、いわば文系学部問題の先駆けともいえる本。「先駆け」と聞くと人類の12割は『魁!!クロマティ高校』を連想することは周知の事実ですが、今回は関係ないのでノータッチでいきます。

いま「魁」の読み方を知ったあなた、ここがこのコラム最大の山場です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なので、これまでのあれこれは、今までにご紹介した本や文系学部解体イベントで触れた内容と大体同じ。といっても僕も大体忘れてるから、ここで近年の文系学部問題のポイントを簡単に振り返ってみましょう。ということで復習のために自分のコラム読み直したらめちゃ体調悪くなりました。人類は早く自分の文章を読んでもメンタル崩れなくなる薬を作るべきです。

 

 

 

 

さーて、これまでの文系学部解体は?

①90年代頃から文科省は大学に自由競争(=お金稼げ!)みたいな発破をめっちゃかけてる

 

②…のはずなのに、学長のガバナンス強化など大学の自由はむしろ制限されてる

 

③とはいえ世間(僕ら学生も含めて)の文系学問への不信は着実にあるよねー

むろにゃん:文系学問は人生に役に立たないかもしれないけど、

       自由な知に触れたいやつは大学に来い!

 吉見先生:文系学問は長期的に役に立つよ!

 

 

 

 

 

 

 

……というわけで今回のメイン、『いま、大学で何が起こっているのか』ですが、正直言って「感想書きにくい……」という感想

 

さっきも書いたように、『いま、大学で何が起こっているのか?』は文系学部問題を早期から扱った本。では、本書はどんな主張をしているのでしょうか?

 

簡潔にいいましょう。日比先生の文系学問に対するスタンスは、「遊べ!!!」ですとはいえ「え、何それ勉強しなくていいの、最高じゃん!」という訳ではもちろんありません。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

遊びを人間の根源として重要視した歴史家のホイジンガって人がいるらしいんですけど、日比先生はこれを参考に、仕事/遊びという二項対立を否定します。

これはつまり、お金を稼ぐための仕事とそれを消費して癒しや楽しみを得る余暇(遊び)をはっきり分けなくてもいいんじゃね?ということ。いまの大学制度は、仕事の時間をはっきり線引きしてなるべく時間効率を上げさせようとしていますが、もともと研究職というのは仕事とそうでない時間を分けるのがとにかく難しい仕事です。本を何冊読めば論文を書けるだけのロジックができるかは予想できないし、授業外の学生指導や勉強会は、そもそもどこまでが仕事でどこまでが趣味なのかなかなか区別できません。そこで、報酬のために仕事をするのではなく、遊びのようにこれらを曖昧にさせる制度の方が研究は捗るのでは?というのが日比先生の主張です。

一見正しいかに思える意見ですが、ちょっと働いたことがある人や「やりがい搾取」という言葉を知っている人は、「おいおい、その考え方はやばいぞよ!?」と思ったはず。最近では電通社員の自殺事件が話題だけど、要は遊びだから(=金銭のためにやっているわけじゃないから)、いくらでも時間をかけて出来を良くしなければならない、という強迫観念が働いてしまうと、労働=遊びは一転して、人間を無限に働かせるロジックになってしまいます。こうした感情を上手く利用しているのが、巷で話題の一部ブラック企業なのはいうまもでもありません。うわぁぁ、書いてて辛くなってきた、死にてぇ!

もちろん、この点は日比先生も了解済み。遊びの理論を補足するために、続いて哲学者ジル=ドゥルーズの「切断」理論を召還します。最近は企業と大学の境界をなくしたり、吉見先生もいうように社会人になっても大学で学び続けられるようにする動きもありますが、こうした管理社会はつまるところ一生勉強を終えることができない社会なのです。

そこでドゥルーズは社会への接続を適度に「切断」するよう勧めます。インターネットをはじめあらゆるものに「接続」するよう要請される現代社会を無理なく生きるためには、適度に「切断」しながら学び続けるべき。かくいう僕もここまで文章を書く間にTwitter36回、Facebook7回、パズドラ3回、Pokemon Go4回起動していたから、完全にネットに接続しすぎマンです。

つまり、「遊び」と「切断」を併せた日比先生の主張は、「仕事と遊びの境界を曖昧にして緩やかに研究(勉強)を続けられるようにするべきと。とはいえ、それは強制されるんじゃなくて、主体的に「接続」「断続」をコントロールできるようにしないとね」となります。

うん、なんというか、うん……。すごく誠実な姿勢だし、こういう「肩の力抜こうぜ」的な話は常に力抜きすぎて都市文化ラボで働いてるときも「いいんじゃね?」と「うぁー」くらいしか言ってなくて同僚Aさんから罵倒されてる僕としてはかなり好きなんだけど、「文系学部なんかヤバそうじゃん、どうすりゃいいの????」という目線で読むとやっぱり地味というかなんというか、イマイチ煮え切らない読後感なんですよね。

横でトランプ圧勝の報道見てるむろにゃんに『いま、大学で何が起こっているのか』の感想を聞いたら、「悪くないけど、これで人を動かすのは難しいんじゃねぇかな」と言ってました。最近おじいちゃん呼ばわりされたんで機嫌悪かったんじゃないですかね。

椎野さんの赤ちゃん(おめでとうございます!)を抱きかかえるむろにゃん。おじいちゃん扱いされたらしいです。

 

 

まあむろにゃんはともかく、ただ何かを伝えることと、人を動かす表現は少し違うということでしょうか。そこで偶然思い出したのが、今回のもう一人のゲストでありながら大学教員Twitterクラスタで圧倒的な存在感を誇る増田聡先生がツイートしていたこの記事。

 

 

母親はどこまで息子のTwitterを監視しているのか?

 

 

 

 

こうやってネタが見つかるんだから、みんなもどんどん仕事中にTwitterやっていこうな!

結構バズってたので既に読んでた人も多いかもしれませんが、未読の人のために予言します。

1ページ目を読んでるときは「うわぁかわいそうだなぁ……」と思っていたお前は、2ページ目冒頭で突如「同情の余地なし!くたばれ!」と言う、いや絶対。気になる人はとにかくチェックだ!

 

 

で、増田先生のツイートがこちら。

増田先生もコメントしているように、最近のTwitterにはどうにも「みんなと同じようにうまくリア充(or非リア)な発言をしなきゃ」という「しあわせ病」(or不幸病)があるような気がしなくなくもないような感じがどことなくあります。ちなみに当方のリア充についてのスタンスは以下の通りです。

……といってももう現実にはもうほとんどみんなリア充なんて言葉知ってる気がするんですけど、スタンスとしてはこれが真理っぽい感じがします。ちなみにいま僕はwixブログで「リア充」は一発変換できたのに「非リア」は変換できない上に、横にいたスタッフA氏に尋ねたら「え、非リアって?」って言われて爆発四散しました。

 

とはいえ、「しあわせ病」がダメなら素直にツイートすればいいのか、とかそもそも本音で発言することができるのか、とかいう意見もあり、そうだよな訳わかんねぇよな状態なんですが、要は「表現」という行為がこれだけ身近になったということ。目にする情報の量があまりに多くなったからこそ、他人のツイートに埋没しないために、あるいは他人と同じようなツイートをするために「しあわせ病」が発動してしまうのかもしれません。

 

 

 

で、日比先生の本に戻りますが、表現を「盛る」というのが時にはやってる本人すら分からないほどに当たり前になった現代では、むろにゃんのいうように単に事実や主張を伝えるのではなく、「どう表現するか」が重要になったのは間違いありません。「文系学部解体」イベントの第3回でもストライキなど直接的な訴えかけを主張するハヤシザキさんや、文系学部問題を映画で表現した三浦君など、争点は問題そのものというよりも「それをどう訴えるか」にありました。

こうした多様な「盛り」と比較すれば、『いま、大学で何が起こっているのか』は着実な事実とそれに基づく誠実な主張で構成された、過剰な盛りつけがないシンプルなご飯のような本。食べるラー油ばりに刺激的なハヤシザキ先生などと比べるとインパクトに欠けるかもしれませんが、それでも主張の内容に魅力がないということではありません。

そういえば昔、『中居正広のブラックバラエティ』って番組で白いご飯をおいしく食べるには何を掛ければいいのか議論をやってましたが、「レトルトハンバーグの残り汁ご飯」や「ツナ缶の残り汁ご飯」とかが人気な一方で、超シンプルな「海水かけただけご飯」が意外に好評だったのを思い出しました。あんまり盛ってないのが必ずしも悪いとは限らないって言いたいんだけど、あんま関係ない気がするな、コレ。

まあよくわかんないけど要は、特に人に自分の立場をアピールする、あるいは人を動かすための「表現」には良くも悪くも多くの「盛り」が介在するということ。こうした観点でいえば、第4回は「大学はこのままでいいのか?——自由と多様性を求めて」は、盛りの少ないシンプルな日比さんと、Twitterでめちゃ上手いこと言える盛り上手(?)な増田さん、そして多分いつものようにめちゃアジるむろにゃんという3人の「表現」に注目してみても面白いかも!!!

それでは、11月22(火)の連続討議『文系学部解体——大学の未来』第4回「大学はこのままでいいのか?——自由と多様性を求めて」、是非ともご来場お願いします〜〜。

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