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要約して噛み砕いてみた

横浜国立大学都市イノベーション学府建築都市文化専攻M2 野口直樹

こんにちは、というよりほとんどの人は初めまして。横国M2の野口です。

なんで無名の文系学生の僕がこんなとこで「こんにちは」なんて言ってるかというと、

6月16日に開催されるイベント「文系学部解体―大学の未来」の宣伝をしろと言われたからです。

 


宣伝とはいっても、いかんせん初回ゲストはあの内田樹さんだから満員御礼間違いないし、別に集客できたからって僕にお金が入るわけでもないし…。(さっきめっちゃ真面目な書評を書いたら「固い、読みづらい、もっとカジュアルに!」と言われたのでもう怒り心頭に達しています。ちなみに、「怒り心頭に達する」は誤用で正しくは「怒り心頭に発する」らしいです。いまGoogleドキュメントで変換したら「怒り心頭に欲する」になりました。)

 


ともあれ、ここでは6月16日に開催されるイベント「文系学部解体―大学の未来」に来ていただけるための予備情報だったり、なんかイベントとか全然行くつもりなかったけど6月16日にうっかり横国の図書館前を通った人が「オッ、これがあのイベントだべ!」とふらっと来れるための文章をお送りします。「だべ!」は横浜の方言だから(たぶん)、イケてる横国生はみんな使ってますね。

 

 


というわけで、初回では、我らが人間文化課程の雄、室井課程長の『文系学部解体』を誰でもわかるように要約します。これで当日ふらっとイベントに行きたくなった人でも大丈夫!

 


というわけで『文系学部解体』ですが、正直言っちゃうとこの本、新書の割に難しい漢字とか長々しい話が多くて、かなり読みづらいです。「文部科学大臣・下村博文」とか「大学設置基準大綱化」とか、学生からすれば「あーお腹いっぱい」な小難しくて重い話が3章にわたって続きます。あまりに重すぎて、シェーキーズのピザも真っ青です。

 

 


これは又聞きなので不確定な情報ですが、なんと室井大先生も自ら「前半はつまんねぇよな」と仰ってたそうです。なぜ自分で聞きに行かないのかというと、もちろん怖いからです。なので高らかに宣言します。本を買った、あるいはこれから買うみなさん、最初の3章は読まなくて大丈夫です。


とはいえ、さすがに全スルーしてしまうのも悪いので簡単にまとめておきましょう

要は、

・2015年にマスコミがもてはやした「文系学部がなくなる!」というのはちょっと言い過ぎだけど、文科省の方針に従わない大学がお金を貰えなくなってきているのは本当

 

世間では2015年に突然文系学部の危機が話題になったけど、これは1991年から少しずつ起こっていた

 

だそうです。

しかも、その文科省の方針というのが、「これからは自由競争の時代!人気がない大学は会社みたいに倒産するから社会や学生の空気を読めよ!」といいながら、「人気になるよう頑張れとはいったけど、ちゃんと文科省に言われた通りのことやれよ!」の合わせ技だから大学側はもう打つ手なし!という有様。

 

たしかに、「いっぱいお金稼いでね!」と「でも私のいうこともちゃんと聞いてね!」を同時に言われたらストレスがマッハですよね。どうやら、文科省というのは、束縛しないといいながらちゃっかり束縛してくるめんどくさい彼女みたいな存在のようです。


 

文科省にベッタリされながら、顔を歪める室井尊師はちょっと悪くないですね。ということで、これからは彼への親しみ(おべっか)を込めてむろにゃんと呼びます。

で、後半では「文科省の言う通りにしていたらさすがに日本の未来がヤバいぞ!」&「文科省の支持に従わなくても、色々楽しいことはできるぞ!」という話が展開されます。

 

 

つまりはむろにゃんがめんどくさい彼女への別れ話を切り出す訳ですね。

 

 


ここで改めて、『文系学部解体』の表紙を見てみましょう。

ご覧の通り、タイトルよりも大きな「日本の知が崩壊する」というアオリがいかにもおおごとっぽさを醸し出してます。そりゃあ僕らの課程がなくなっちゃうんで、むろにゃんとしても危機感MAXです。最近、教員のみなさんに出産ラッシュが相次いで幸せムードなのに課程がなくなっちゃうんだから、危機感MAXです。(彦江先生、カルパントラ先生、おめでとうございます。)

 

 

なぜ新書の帯を見たのかというと、この「日本の知が崩壊する」というのが「日本の未来がヤバいぞ!」の具体的な内容だからです。めんどくさい彼女と別れたい!→なぜ?→日本の知が崩壊するから、ということです、大変ですね。

 


さっきから簡単に「知が崩壊する!」「知が崩壊する!」といってるけど、そもそも知ってなんなの? ということで、ここでむろにゃんの十八番なポストモダン哲学者ジャン=フランソワ・リオタールの登場です。「ポストモダン」という言葉を聞くだけで「もう嫌だ〜〜〜」ってなるタイプの人が多そうなので、小難しい話はささっと終わらせちゃいます。ちなみに、大学院生はみんな「就職」という言葉を聞くだけで「もう嫌だ〜〜〜」といって逃げ出します。

 

リオタールによると、ポストモダンという時代の特徴のひとつは、全ての知が役に立つかどうかだけで判断されてしまうことです。こういう状況を彼は「知の情報化」と呼んでいます。

 

だから、ポストモダンで大事なのは夏目漱石の代表的な三部作のタイトルやマルクスの思想ではなく、スマホアプリが作れるプログラミングとか税金対策に使える会計知識なんです。

 

たしかに、夏目漱石の小説に登場するのが「三四郎」か「せがた三四郎」かを知っていても役に立つことはないけど、

プログラミングができればWebエンジニアになってお金を稼げることができます。

非常に雑にいっちゃうと、文科省が文系学部を縮小しているのも同じ理由。

「だってYou、役に立たないじゃん?」ということです。

うーん、たしかに文系は役に立たない。

文系学生の人なら誰だって、「俺って一体何やってるんだろうなぁ」とぼやいたことがあるはず。

さて、全国1000万人の文系学生が抱える永遠の課題に、我らがむろにゃんはどう答えるのか??


 

なんと、「そうだよ、役に立たないよ」と認めているのです。

……やっぱり役に立たないのね。。

しかし、これは逆にいえば世間では役に立たないからこそ、大学は文系学問を存続させるべきとも考えられるはず。(なんだか文系学生って、トキみたいだな……。)



とはいえ、大学の役割は絶滅危惧種の保護施設だけではありません。学生と教員が触れ合うことにこそ、大学の真の価値があります。その例としてむろにゃんは、

人間文化課程生なら耳にタコ

できるくらい聞いたであろう

2001年ヨコハマトリエンナーレの巨大バッタや、

ポーランドのアーティスト・ヴォディチコ氏とのワークショップなどを挙げています。

学生は単位目当てでやっているかもしれないけど、

これらの活動を通してむろにゃんは、普段は死んだ魚のような目をしている学生から凄まじいエネルギーを感じたというのです。

 

ちなみに一部の界隈では常識ですけど、むろにゃんはジャイアントコーン(チョコ味)にそれはもう目がないので、単位に困っている人は生協に寄ってから都市文化ラボに足を運んでみましょう。たぶん、今の情報が「役に立たない」ことばかり書いているこの文章の中で一番役に立つ情報のはずです。

 


さてさて、バッタetcで学生が見せたエネルギーが凄いのは、仕事のようなやらなければならないことではなく、全く「役に立たない」活動の中から生まれたことです。

ここにむろにゃんは、大学で学ぶべき「知」があるといいます。

 

それは、「自由な知」です。自分がやりたいことでもないし、役に立つわけでもない活動を人生で経験する機会はどれくらいでしょう? 恐らく全人類の中でも、巨大バッタのバルーン作ったことがある人はそんなにいないはず。


そんな意味不明な体験だからこそ、世の中に色んな人がいること、色んなめんどくささがあることなどなどがわかってくる。「自由な知」とは、僕たちが如何に自由なのかを知ることではなく、如何に不自由なのかを知ることなのです。


もちろん、自分が如何に不自由かなんて、とっくに知っているし、これから実感する機会もいくらでもあるでしょう。現にいま僕は、この原稿のせいでとんでもなく不自由です。けど、ここでむろにゃんがいっている自由はちょっと違う。

 

最初は乗り気じゃなかったとしても、意味不明なところに踏み込んでみたらやっぱりつらいけど、意外にちょっと面白かったりもする。そういう、たしかに不自由なんだけど終わってみたら何となく悪くはない、でもやっぱりそれが何なのかはわからないような、そんな不自由もあるはずなんです。「不自由」という言葉はやっぱり悪い言葉だけど、それは「必要な不自由」に耐えなければならないという意味ではない。「不要だけどそんなに悪くない不自由」がこの世には少しはあるし、それを味わうのが大学の価値だとむろにゃんは言いたいのかもしれません。

 


もちろん、ここに年長者からの押し付けがましさを感じてしまう人もいるでしょう。それをわかってか、むろにゃんは本書の最後で「受験生のみなさんも、けっして絶望しないで、大学に来てください」と投げかけるけど、誰もが大学問題を考えるべきだとは絶対にいいません。別に文系学生だからといってこの問題に関わる必要もないし、バッタを作るような先生を避けることだってできる。たしかに「役に立たない」けれど、そんな「役に立たない」ことが好きな人のための場として、大学にはまだほんの少しでも意味があるのかもしれません。

ここで終わりますが、こんなライトな書評じゃ満足できないお方は、

「お固い、読みづらい」とお墨付きの『文系学部解体』レヴューをご覧ください。

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