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竹宮恵子『風と木の詩』17巻を読む。

横浜では昨夜、雷が鳴り、ザッと雨が降ったおかげで今朝から昼にかけて、

まさに天国かのような気温にめぐまれ、現在も29℃〜30℃を行ったり来たり。

サイコーだぜ!

そんな、ラボには本日アシッドジャズが流れています。

そして一人の大人(スタッフ椎野)が「都市とポピュラー文化」の予習という大きな言い訳をしながら、竹宮恵子さんの『風と木の詩』17巻を読んでいます。

それにしても「風」と打とうとして変換で「風邪」が必ず出てきてしまう我がPCの全く文学性のなさにほとほと困り果ててしまいます。日常にまみれた世界が自らを覆っているのがまるわかりですね。(ま、そこまで困ってませんが)

もとい、そんな、日常をふきとばす青春の美しきやぶれかぶれが『風と木の詩』には存在していました。(そういえば、室井先生は少女漫画全般を読むリテラシーがないとかで、読めたことがないそうです。なんでも読んでると思っていたので個人的には驚きでした。)

舞台は19世紀後半のフランス。二人の14歳の少年。娼婦のような生活をする美少年ジルベールによって自分が思ってもみない道へと堕ちていく青年セルジュ。激しく愛し合う二人の青春物語。

(竹宮恵子さんHPより)

(竹宮恵子さんHPより)

毎日「今日は何のゴミの日だっけ?」を問うている自分とはかけ離れた生活。私も一匹くらい美少年を飼ってみたいと思ったことはないでもないけれど、働きもせず、自由気ままに生き、それでも飯を食らうガキを許せるだろうか、たとえそれが満たされない孤独を抱えている脆き美少年だとして、、、と考えてしまった時点で多分負けなのでしょう。

「お前の与える愛情よりも、求める方がずっと熱くて激しいんだ。満たされずに苦しむのは彼の方なんだぞ」(『風と木の詩』セリフより)

わかっていはいるけど、どうにもならない愛。互いが互いを必要とし、それでも満たされない愛。愛、、、、でも、愛ってなんだろう。

そして、結局、その愛は成就せず、破滅してしまうからこそ、至高の美が成就する、、、、ような気がする。

ジルベールの描かれ方に、久々ヴィスコンティの『ベニスに死す』のタッジオを思い出しましたが、ウィキペディアを見れば、竹宮さん自身が非常にこの映画を参考にし、また影響を受けた映画監督こそヴィスコンティだとか。確かに、パリの街並みや時代背景などなみなみならぬ研究がしつくされている感じがいたしました。

(『ベニスに死す』タッジオ)

ところで、室井先生もそうですけれど、「少女漫画を読むことが不可能な男性」というのは、「地図を読めない女性」とおんなじ感じなんでしょうかね。私は女性なので(女性だからってわけでもないでしょうが)少女漫画は読めますが、学生時代は本当に地図が全く読めませんでした。あと哲学書と言われるものもダメでした。今読んでも、あと10年後に読んでも、たとえ100回挑戦してみても読める気がしません。地図は現在ぎりぎり読めるようになりましたが、男性は地図も哲学書を軽々と読んでいるような気がしてしょうがありません。これも思い込みでしょうか。

もとい、結局17巻しか、読んでいないので、今度は1巻から読んでみたいと思います。学生さんは、もちろん、一通り読んでから竹宮さんの授業を受けてくださいませね〜。

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