要約して噛み砕いてみた(吉見先生篇)

横浜国立大学都市イノベーション学府建築都市文化専攻M2 野口直樹

初めまして、時々こんにちは。M2の野口です。

むろにゃんこと室井先生主催の文系学部の未来を考える連続討議をM2の僕がノーギャラで宣伝する需要不明のコラム。今回は7月11日開催「『文系学部解体』vs『「文系学部廃止」の衝撃』」についてでございます。


 

というわけで、先日の内田樹先生イベントにお越しいただき、ありがとうございます!

イベント当日、僕は音響を担当していたのですが(なので講演中3回くらい音割れしたのは僕のせいです)、動員数も予想以上、会場の熱気もものすごかったです。何より内田先生の喋りが上手い!冗談を交えながらも諸問題をバッサリ切り捨てていく内田先生の、生のパワーを実感しました。

 

さらにさらに、講演後ラボで行われた打ち上げでも、内田先生、むろにゃん両名はアクセル全開。政治問題から80年代の思想ブームまで、そりゃもう色々喋っていただきました。ちなみに僕はむろにゃんに「内田先生をタイプライター呼ばわりしたヤツ」前回記事参照)として紹介されたので、前回イベントでの僕の最終評価は、失礼なあだ名をつける劣化有吉になっているはずです。


 

打ち上げの会話で印象に残っているのは、役に立たない文系学部を存続させるのはいいけど、やはりどうしても将来が心配だという学生に対して、「俺も定職につかずに、京都の街を日が暮れるまでぶらぶらして、ガードレールから空を眺めたりしていた頃があったんだぞ……」というむろにゃんの言葉。若者が思ってる以上に、意外と人生なんとかなるのかもしれないですね。むろにゃんの背後に真っ赤な夕焼けが見えたような気がしました。

京都の街でぶらつく若者で連想されるのは何と言っても、森見登美彦作品。むろにゃんもきっと、ちょっと話し方がめんどくさい美少女に振りまわされたり、謎の祭りに参加したりしていたはずです。翌日僕も意味なく横浜の街をぶらついてみたら、胡散臭い路上販売者に変な果物を買わされそうになりました

そんなこんなで次回イベント「『文系学部解体』vs『「文系学部廃止」の衝撃』」も開催間近。というわけで今回は吉見俊哉先生『「文系学部廃止」の衝撃』レビューなわけですが、私事100%なことを申し上げると、現在僕は夏バテ&夏風邪でとにかく汗がダラダラで体調もダルダル。なのでせめて文章はダラダラさせず、清涼剤のごとくササッと要点を書いちゃいます。忙しい方はコレだけ見れば、『「文系学部廃止」の衝撃』について知ったかできる!

 



 

30秒でわかる『「文系学部廃止」の衝撃』!!

 

①2015年に話題を呼んだ「文系学部廃止」はマスコミが誇大に解釈した論だが、廃止も検討に入れた文系学部の縮小は以前から「ミッションの再定義」として存在

 

②吉見先生のスタンス→文系学部は既存の価値を見直すという意味で、「役に立つ」!

 

③じゃあ文系学部を復活させるためのアイデアは?→

⒈文理問わず専門科目を2つ履修する「宮本武蔵の二刀流戦略」

⒉18歳、30代前半、60歳前後の3回大学に入る




 

以上です。勝ったッ!第3部完!!!!



 

というわけで、これが極限までザックリまとめた『「文系学部廃止」の衝撃』です。なので学生のみなさんは、例えばバイト先の飲み会なんかで「最近、文系大学がなくなるとかで大変らしいじゃん。学生としてはどう思うの?」と聞かれてももう何も怖くない!


 

「うーん、そうですね……(意味ありげに虚空を見つめる)。『文系学部廃止』という言葉が正しいかはともかく、文系を縮小する動きは以前からありました。東京大学大学院情報学環長も務められた吉見俊哉氏も仰っていますが、やはり文系教育を受ける身として人文社会学には「価値を見直す価値がある」と主張したいですね。とはいえ文系大学、もとい日本の大学は様々な面で硬直化しています。大学がもっと社会と有機的に接続されるため、一人ひとりがもっと学びを人生に生かすためには、文理に囚われずに在学中に2つの専門科目を履修したり、人生で3回大学に入ったりすることで幅広い知識、年代で大学を活用できるようになればいいんじゃないでしょうか?」と言ってみてください。

きっと相手はあなたのことを、「話が長いヤツだな……」と思うはずです。





 

ともあれ、賢明な本稿読者のみなさんなら、上記の『「文系学部廃止」の衝撃』要約の多くが、以前僕が書いた室井尚『文系学部解体』の要約と似通っていることに気づくはずです。ちなみに「賢明な本稿読者のみなさんなら〜」というのは、典型的な煽りレトリックで、賢明な読者を選抜したいのではなく、改めて前々回の文章を読んでみてくれ!という意味。ネット時代に沿ってさらに意訳するなら、「お前ら、以前の僕の記事もクリックしてアクセス数アップに貢献してくれよな!」です。アクセス乞食じゃねぇか。


 

ざっくり見てみましょう。まず①の2015年に起きた文系学部廃止騒動にしても、発端はもっと前から存在しているという点でむろにゃんと吉見先生の意見は大体一致しています。とはいえ、吉見先生は、一連の文系縮小の流れは文科省の独断ではなく「理系は役に立つけれど、文系は役に立たない」という民意の表れだと考えています。これは吉見先生が専攻するメディア論、あるいはカルチュラルスタディーズ的な発想です。

 

例えば、吉見先生の初著『都市のドラマトゥルギー』には明治以降の浅草や渋谷といった「盛り場」のいろんな姿が描かれていてめちゃ面白いんですが、それらは単なる歴史的事実ではなく、そこに生きた人々のスタイルや生活思想が反映された「出来事」として分析されます。都市の変化を見ることは、そのまま当時の人々が何を感じ、どう生きていたかを見ることになるのです。「メディア」というスクリーンを通して人々の考えの変化を見るのがメディア論であり、そうした見地に立つ吉見先生は文科省の通知という一見お堅い文書の中にも、日常を生きる僕らの意識が反映されていると考えるのです。






 

続いて②。文科省の通知が「文系は役に立たない」という僕らのイメージの反映だからこそ、吉見先生は「『文系は役に立つ』と主張しなければならない」と強く言います。これがむろにゃんと吉見先生の最大の違いです。「文系教育は役に立たない」派のむろにゃんvs「役に立つ」派の吉見先生


 

吉見先生は、「役に立つ」ことは目的に奉仕するタイプとそもそもの価値のあり方を問い直すタイプの2種類が存在し、人文社会学は後者に属する長期的な意味で役に立つ学問だといいます。ところがどっこい、これはむろにゃんがいう文脈型の知と限りなく近い意味。そもそもむろにゃんがいう「役に立たない」は、「現代社会では」というカッコ付きの言葉でした。


 

そういう意味では両者は、内容に大きな差はないのにパッケージが正反対になっている、言ってみればきのこの山vsたけのこの里みたいなものです。どっちが好きかって、お前ら両方ともチョコとビスケットじゃねえか。

 

だから文系が役に立つかどうかで争うのではなく、なぜこんな違いが生まれるのかを考えるべきなんです。吉見先生は「役に立つ理系」というイメージに対して「文系は役に立たないけど価値がある」と主張しては対抗できないといいます。だから先のような「役に立つ」の2つの次元を示して、「長期的に文系は役に立つ」と主張するのです。





 

役に立つとはいったものの、やはり吉見先生も現状がベストだとは考えていません。だから、③で具体的なプランを示します。現在の大学の問題点は、言語や学部で断絶していること(横軸)、また就職や研究職といったその後のキャリアや義務教育などと断絶していること(タテの壁)。これらを解消するのが、二刀流専攻と人生で3回大学に入ることなのです。


 

そろそろアイスが食べたくなってきたのでこの辺はなんかフィーリングでわかってほしい感じですが、たしかに文理関係なく2分野を専攻できればヨコの壁は崩せそうだし、大学に3回入るのが当たり前になれば仕事とかともうまく接続できることになりそうです。


 

いやまあそりゃあ有効そうだけど、とはいえ実現にはそれなりの時間と労力がかかりそう。壮大だから悪いということではないですが、さっきまでかなり慎重な論を展開していた吉見先生がこうも大風呂敷を広げると、なんというか、このプランは「文系は役に立つ」に具体性を持たせるための補強案に見えなくもありません。あるいは、吉見先生はこうした改革をしたいのは確かだと思うんですがが、逆にいえば壮大なプランを実行するためには是が非でも「文系は役に立つ」というイメージの書き換えが必要だというようにも読めるんですね。


 

だから、僕は『「文系学部廃止」の衝撃』を「社会」に向けたパフォーマティブな本として読みました。一方、『文系学部解体』のスタンスは自分の学問が「役に立たない」(と言いながら自分はめっちゃ勉強してる)と割り切る哲学者気質で、その上で「まだ大学は捨てたものじゃない」という教育者の目線を感じました。だから、7月11日に開催する「『文系学部解体』vs『「文系学部廃止」の衝撃』」というイベントタイトルはそのまま、社会学者 吉見俊哉と哲学者 室井尚のスタンスの違い、さらには社会科学と人文科学の違いだとも言えるのではないでしょうか。

ちなみに、いま都市文化ラボでこの原稿を書いているんですが、哲学者 室井尚は俺の隣でドローン飛ばしてるよ。

​(↑落下したドローンを眺めるむろにゃん)

社会科学と人文科学の対立といえば、まさに横国大の人間文化課程。先生の気質が合わないのはしょうがない気もしますが、学生同士にも何と無く壁があったりするっぽいです。なんでこんな曖昧な言い方なのかというと、僕が学部時代に友達が少なかったからです。


 

とはいえ、「文系は役に立つ」と「文系は役に立たない」という主張の差はあくまできのこたけのこ戦争みたいなもの。パッケージに違いこそあれど中身に大きな差はありません。冗談だから面白かったきのこたけのこ戦争をガチでやるとちょっと違和感があるのと一緒で、問題は両者の対立そのものではなさそうです。


 

そんな時にはきのこの山やたけのこの里の影で音も立てずに息を引き取っていった「すぎのこ村」や「くるみの森」、「森のどんぐり」について思いを馳せてみると良いのかもしれません……うん、そうでもないな。



 

というわけで7月11日開催「『文系学部解体』vs『「文系学部廃止」の衝撃』」イベント、どうぞよろしくお願いします!

室井尚研究室

240-8501

横浜市保土ケ谷区常盤台79-1

横浜国立大学教育第1研究棟521

T/F: 045-339-3457

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北仲スクール

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