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特別集中講義 思想と文化ⅠA

『唯物論と快楽主義ー最後の哲学と道徳

担当講師:吉岡洋(京都大学)

日時:12月21日〜24日(4日間)

会場:外部会場 

【授業の目的】

唯物論と快楽主義。哲学や道徳の歴史の中でも、より一般的な人生観・世界観においても、この両者はたいていの場合「悪役」「斬られ役」であった。

 まず哲学。いろいろあるけど哲学とは、「たんなる」モノや現象の背後に何か高次の原理を洞察することだと、多くの人は理解している。そうすることで、法則や必然性の支配から精神を解放すること――それが哲学の目標とされる(哲学なんて自分には関係ないと思ってる人でも、哲学をそういうふうに理解している点では同じだ)。そこからすれば、物質よりも根源的な原理を認めない唯物論は、未熟な思想ということになる。哲学のメインストリームは昔も今も(広義の)プラトン主義なのであり、それは要するに「唯物論の克服」なのである。

 快楽主義とはいわば、こうした唯物論の「道徳バージョン」といえる。道徳とは「善」を目指すことだが、「善」とは人間の自然的性向に逆らって「何をなすべきか?」と問うことである。だから、不快を避け快を求める快楽主義は、克服されるべき誤った立場、あるいは「立場」以前のものとして退けられる(ここでもまた「道徳なんてケッ!」と思ってる人でも、それを快楽主義と対立させて理解している限り、同じ道徳観の支配下にある)。さて、現実の世界を見渡してみると、この世の中はお金と権力と物質的な快楽の追求に支配されているのではないだろうか? 哲学や道徳も重要なんて言ったって、それは結局のところ富や成功や名声などの現世的幸福に結びつき、それに役立つ限りにおいてのみ、重要とされているだけではないだろうか? そんな容赦ない現実に対して高邁な「真理」や「善」を振りかざすことが、いかに無力に見えることか! それではまるで「ドンキホーテ」ではないか? あえて「ドンキホーテ」でいいという考え方もあるし、ぼくもリスペクトはする。でもこの講義では哲学をあえてそういう風には理解せず、一見自明と思われる「唯物論」と「快楽主義」を再検討してみようと思う。これは控えめに言っているのだけど、本当のところは「唯物論」がどんな思想か、「快楽主義」がどういう立場かなんて、実はほとんど誰も分かってないのである。だから再検討というより一から学んでみようという方が正しい。唯物論も快楽主義も古代ギリシアに由来する思想の系譜であり、まずそれらの古代的な姿を紹介したい。西洋近代思想の歴史で、唯物論が一瞬、表舞台に躍り出たことは2度ほどある。ひとつは18世紀末フランスの啓蒙思想、もうひとつはマルクス主義である。でもどちらも長続きしなかった。それはどうしてなのか、ということも考えてみたい。そしてなぜぼくが講義のサブタイトルでそれらを「最後の哲学と道徳」と呼んでいるのか、ということも説明したい

【参照ホームページ】

TANUKINOHIRUNE(http://chez-nous.typepad.jp/tanukinohirune/)

12/21(木)13:00〜18:00 
12/22(金)10:30〜18:00 
12/23(土)10:30〜18:00 
12/24(日)10:30〜18:00 

場所:桜木町・帆船日本丸訓練センター
   http://www.nippon-maru.or.jp/facilities/training.html

参加ご希望の方は、

 

1、名前

2、所属(大学名、学部、学科、学年など)

3、学籍番号

4、メールアドレス

 

を明記の上、ylabo208@gmail.comまでご連絡下さい。

 

※【『思想と文化ⅠA』を受講のみなさま】

この授業は横浜都市文化ラボとの共催で、学外会場で実施します。

教育人間科学部人間文化課程の方は大学のシステムを使った履修登録のほかに、横浜都市文化ラボへの履修予約が必要です

ylabo208@gmail.comまで履修予約を必ずして下さい。予約のない者は受講できません。

 

 

 

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