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ゲームによって「リアル」はどう変容するのか? 研究集会「ゲーム的リアリズム2.0」が開催されましたッ!

お疲れ様です〜〜。毎度お世話になっております、M2の野口です。ついこのまえ年が明けたと思ったのに、気づいたらもう2月!!2017年も既に12%以上が過ぎてしまいましたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?(丁寧な時候の挨拶)

というわけで、2月11日には科研費研究集会「ゲーム的リアリズム2.0——バーチャルリアリティからポストリアリティへ」が開催ッ! 予約開始直後に即満席、各方面で色々話題になった当イベントですが当日も大盛況で、なんか皆さんホントにありがとうございます!(例によって僕は会場前面でPAを担当しており、登壇者の陰にいる変なヤツとして認識されてました)

一口に「ゲーム」といっても人によって観点は様々。今回は各方面から4人(+1人)のゲストの方が濃密なお話をしてくれました!

1人目のゲスト、東京大学博士課程の入江哲朗氏(今期オススメアニメはAKIBA’S TRIP)がお話くださったのは、イベントのタイトルにもなっている東浩紀氏(なんと直接会場まで足を運んでくださいました!)の「ゲーム的リアリズム」とレフ・マノヴィッチ『ニューメディアの言語』の「ナヴィガブル・スペース」を組み合わせた新たなゲーム研究のあり方について。

……と書くとなんだか理論理論していてむずかしそ〜ですが、入江さんの解説は具体的作品を扱っておりめちゃわかりやすい(僕は2017年のプレゼンに『くじびきアンバランス』が登場するという事実にただ感動していた)!要は僕たちの現実認識に影響を与える(例えば人をキャラに見立てたりゲームの残機みたいにやり直しの可能性を考えてしまったりといった)「データベース」としての側面と、Webのように配置された独自の空間概念を使ってゲームを考えてみようというお話。

この両面を駆使しながら小島監督の作家性が表現されているのが、『METAR GEAR』シリーズなのだという、あまりに壮大な見取り図を広げてくださりました。詳細が気になる人は入江さんが監修した同人誌『CONFIG』を読もう!(宣伝)

ライプツィヒ大学のマーティン・ロート氏(明らかに僕より日本語が上手い)が語ったのは、ゲームにおける自由について。ビデオゲームでは常にゲーム内の目的やプレイ方法によってある程度の「制御」を受ける一方で、例外的な状況や目的のゆるさによって「自由」も作り出します。

この二重性はまさに現実世界と同じもの。僕らはある意味では、描かれる現実とは異なった「制御」と「自由」の葛藤を楽しむためにゲームをプレイしているのかもしれません。

そして『METAL GEAR』シリーズで有名な小島秀夫監督は急遽予定が入ってしまったため、ビデオメッセージでのご出演(映像でも伝わるカリスマ感がやばい)。語ってくださったのは、主にVRやARの登場によって変わる「リアル」の中でのクリエイター活動について。

例えば、VRではここ1世紀の常識だった四角い画面から解放され、360°を縦横無尽に活用した表現が可能になります。これまでの現実/フレーム内という明確な区別がなくなった後に、コンテンツはどのように位置付けられるのか? 現実感覚の変わる未来を見据えた小島監督の作品づくりが明かされました。

小島監督の熱いメッセージでヒートアップしながら、議論は後半戦へ。研究者として活躍する傍らで『ワンダと巨像』などのゲーム制作にも関わってきた簗瀬洋平氏は、VR技術で人間の五体感覚が受ける影響についてお話しくださいました。

食べ物の色と匂いの変化が味にも影響を及ぼすという有名な話が示すように、人間の感覚は普段それらを駆使している僕ら自身にもわからないほど複雑なんですね。僕たちが感じる「リアル」にダイレクトに影響を与えるVR技術をどうやって制御・活用するかはこれからの重要な課題になりそう。僕としては、とりあえず自分の文章を読んだ時に背筋がゾッとする感覚がなくなる技術を開発してほしいです。

続いてゲーム研究を専門にされている関西大学の井上明人氏が扱ったのは、むろにゃんも未だに(渋々)(と言いながら実際楽しそう)プレイしているPokemonGOについて。『Ingress』など、GPS情報を利用したスマホゲーは以前から色々ありましたが、PokemonGOの凄さは何と言っても社会での圧倒的知名度。神社がポケストップとしての観光客を拒否したり、歩きスマホがニュースで取りざたされたりと、社会現象としてのPokemonGOは問題視されることも少なくありませんでした。

ARゲームによって現実空間が新たな意味を持つ一方で、当たり前ですがそのコンテクストを共有しない人もたくさんいます(ちなみに、リストバンド型デバイス「PokemonGO Plus」を操作する姿は端から見るとなかなかアレなんだそう)。こういう「新しい現実」の価値をめぐる議論の衝突はこれからも度々問題になりそうですね。

……という感じであまりに多様な視座が込められた各発表ですが、その後のディスカッションで度々話題になったのは、ゲームによって変容する「リアリズム」(あるいは「リアル」「リアリティ」)とは何なのか?という問題。

むろにゃん(↑)が基調講演でも話していましたが、僕たちが対峙する「現実」は誰でも同じように解釈できる自然な存在ではありません。僕らは世界を「感性」というインターフェイスを通じて理解しており、インターフェイスが変われば現実認識も変わるというのが、「美学」での前提なんだそう。

だとすれば、普段の仕事や人間関係を素朴に「ゲーム」や「キャラ」として捉えてしまう日常的な「意味」へのゲームの流入、匂いや触覚といった「感覚」に影響を与えるVR技術、神社にポケストップという新たな社会的文脈を付与するPokemonGOなど、ゲームは様々なあり方で僕らの「感性」、そしてリアルとの向き合い方を書き換えています。

あまりに豪華なゲストのお話には難しい箇所も多々ありましたが、普段なんとなく接していたゲームと日常の新たな関係や未来が見えてきたのではないでしょうか??

改めて、ゲスト並びにお越し下さった皆様、誠にありがとうございました!!!

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